この作品は、ピカソが家族の住むスペインのバルセロナに帰郷していた頃に描かれました。夜の海岸に、母親が幼子を胸に抱いてたたずんでいます。地中海をのぞむこの海岸は、ピカソが通った美術学校の目の前に広がる浜辺で、ピカソが親友カサジェマスと過ごした学生時代の思い出の場所です。母親がまとう衣は、スペイン人が熱心に信奉するキリスト教の、聖母マリアの青いマントを思わせます。蒼白い手を伸ばして赤い花を天へと捧げる姿には、亡き友人へのピカソの鎮魂の祈りが重ねられているのかもしれません。, 2018年、ポーラ美術館(神奈川県・箱根町)はワシントン・ナショナル・ギャラリー(アメリカ・ワシントン 以下NGA)アートギャラリー・オブ・オンタリオ(カナダ・トロント 以下AGO)との共同調査にて、パブロ・ピカソ《海辺の母子像》(1902年、ポーラ美術館蔵)の下層部に「新聞紙」の貼付を発見しました。 All Rights Reserved.

「これがピカソ?」とお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、「貧しき食事」は恐らくピカソの制作した中で最も有名な版画といってもいいでしょう。, 1901年から1904年の間、ピカソはまるで自分と世界と間にフィルターを置いたかのようにすべてを青くみていました。, ※当時ピカソは盲人のテーマに憑りつかれていました。 青の時代 本作品はピカソの「青の時代」に制作された作品で、女性が寝室で入浴する様子が描かれている。 また壁を見ると、パリで活躍してたロートレックの《メイ・ミルトン》のポスターが貼られている。 ピカソの「盲人の食事」 - サンフランシスコへの道 〜the long and winding load〜先日、新聞の日比野克彦氏のコラムで見かけた絵画、ピカソの「盲人の食事」。見ての通りの青の時代の作品ですな。なかなかシビレるsfujita180.hatenadiary.org このような人間描写は「青の時代」の典型的なものですが、ピカソの驚異的なエッチングとクロスハッチングの技術によって、真の名作と呼ばれるにふさわしい作品なって … 《貧者の食事》1903 《酒場の2人の女(酒場の娼婦達)》1902 《盲人の食事》1903 《人生》1903 青の時代には、名品が多くある。 貧者に視点を当てた社会主義性のある主題が重要な意味を、絵画そのものの〈格〉を上げることに影響を与えたように思える。 本調査は、対象物の成分に関する情報を非破壊・非接触で得られるハイパースペクトル・イメージング・スキャナーを用いて行われ、貼り付けられた新聞紙は、フランスの日刊紙『ル・ジュルナル』(Le Journal) で1902年1月18日に発行されたものと判明しました。この日付は、ピカソが「青の時代」にパリからバルセロナに移動した時期に重なることから、この発見はピカソ研究者にとって重要な意味をもたらすと考えられます。 このテーマによって、ピカソは真実の視覚とは心の目で見ることだといっています。, この「青」はある決まった特別な感情を表現しており、夜の色、海の色、空の色、深く冷たい悲観と不幸の色、絶望の色を表していました。, ここでは、パンとワインのみの粗末な食事を前にして、盲目の男性がそばにいる伴侶に慰めを求めています。, このような人間描写は「青の時代」の典型的なものですが、ピカソの驚異的なエッチングとクロスハッチングの技術によって、真の名作と呼ばれるにふさわしい作品なっています。, さて、この作品、先月の23日にロンドンのオークションで落札されました。その額なんと120万2500ポンド、日本円にして約2億1千万円です。, 事実、これは数年前の20倍近くも高いもので、ピカソの市場が恐るべき勢いで高騰しているのかと驚きました。しかし、よくよく調べてみると、本当の理由は別にありました。, この「貧しき食事」、普通のヴァージョンとは違い、ごく限られた数だけ摺られた希少なものだったのです。, ピカソがこの作品の原版を制作したとき、彼は金銭的な問題から、あまり品質の良い銅版を使いませんでした。ピカソはこの原版で、少量の数の版画を摺りました。その数は30部とも言われています。, その後、この原版はピカソの作品を扱っていた画商であるヴォラールに売却されました。原版を入手したヴォラールは更なる印刷に耐えられるように、原版に薄い鉄の被膜をコーティングする補強を施しました。, この補強によって、この原版は多くの印刷に耐えられるようになりましたが、彫りが浅くなったため、版画の摺りが弱々しくなりました。, 補強前に摺られた作品で現存しているものの数は非常に少なく、ほとんどが公的な美術館に所蔵されています。, しかも、これらの最初に摺られた作品には、ピカソが元々意図したグラフィックの効果やニュアンス、3次元性などをはっきりと見ることができ、その後に摺られたものとは比較にならないほど高い評価をされているのです。, この作品は特別ですが、ピカソの市場は21世紀に入ってからずっと強いですね。普通のヴァージョンの「貧しき食事」もこの数年で倍になっています。この傾向はまだしばらくは続くと思います。. 「貧しき食事」の盲人とその伴侶. ピカソは1881年、スペイン南部の港町マラガで生まれました。美術教師の父の指導のもと、幼い頃から画才を発揮し、バルセロナの美術学校で本格的に絵画制作を始めます。. 時代別の代表的な作風 青の時代 1901-1904. 短命な「青の時代」の典型を表す代表作の一つです。目の見えない男の幸いでさえある触覚を通じた現実の造形世界。これは芸術家のあり方と呼応さえしています。 またポーラ美術館では、2005年にも東京文化財研究所の協力によりX線透過写真等による《海辺の母子像》調査を行っており、下層に隠れた絵画の存在が判明しておりました。今回の調査によって、《海辺の母子像》の右上の角の位置に、絵画の下層部にピカソによって書かれた上下逆の署名があることも明らかになりました。 パブロ・ピカソ (Pablo Picasso [ˈpaβlo piˈkaso], 1881年 10月25日 - 1973年 4月8日)は、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家。. 右:赤外線ハイパースペクトル擬似色彩による新聞紙の画像© John Delaney, National Gallery of Art, Washington. 20歳のピカソが描いた「青の時代」(1901-1904年)の作品です。 パブロ・ピカソ 《海辺の母子像》 1902年 油彩/カンヴァス 81.7 x 59.8 cm. Copyright © Pola Museum of Art. 20歳のピカソが描いた「青の時代」(1901-1904年)の作品です。ピカソは、親友カサジェマスの死をきっかけに、生と死、貧困といった主題に打ち込み、絵画からは明るくあたたかな色彩が消え、しだいに青い闇に覆われていきました。ピカソの「青の時代」の絵画には、純粋さ、静けさ、あるいは憂鬱など、さまざまなイメージを喚起する「青=ブルー」が巧みにもちいられています。

ピカソが二十歳を過ぎた頃の、薄暗く陰気な青を主に用いた陰鬱な作品が続く「青の時代」。1901年2月に親友カルロス・カサヘマス(Carlos Casagemas)が恋愛沙汰でピストル自殺を図った事件が大きく尾を引いた。

八虎は、ピカソの絵は解らないと言ってました。中学校の教科書にキュビズムのデビュー作の「アヴィニョンの娘たち」が、掲載されていて、あと美術室に「ゲルニカ」のレプリカが、飾ってあって、ピカソの作品を、この二つしか知らなかったら、取り敢えず、ピカソは、解らないってことになるのかもしれません。, 私も、「アヴィニョンの娘たち」は、どこがいいのか、解りません。この絵が、好きか嫌いかと言えば、嫌いってことは別にないんですが、特に好きではありません。「ゲルニカ」は、解ります。何が描かれているのかも、まあ普通に見れば、誰でも解ると思います。中空に描かれている牛と馬の首が、ファシズムの象徴だろうと云う想像もつきます。モノトーンの暗い色調も、戦争の悲惨を伝えています。ジョンレノンの「Imagine」が平和の曲であることが、all over the worldの方に解るように、「ゲルニカ」が戦争の絵であることは、大人でも小さな子供でも、誰でも解ります。ピカソが解らないと云う世の中の通念に乗っかってしまって、つい解らないと言ってしまうんだろうと思います。, ゲルニカ同様、誰でも解るピカソの作品は、沢山あります。ピカソが、息子のポールを描いた絵があります。ポールは、アルルカン(イタリアの道化師?)に扮しています。ポールは、尊敬しているポールセザンヌの名前から取りました。この絵は、とびっきり可愛い男の子の絵です。この絵の可愛さが解らない人はいません。高校生くらいの男子ですと、小学生くらいの生意気なガキんちょが大嫌いと云う人も、結構、いると思います。私も、小さな子供は、嫌いでした。ですが、高校時代に、ピカソのポールの絵を見て、素直に可愛いと思いました。子供って、やっぱり可愛いんです。その普遍的な可愛さが、表現されています。, この作品が描かれたのは1924年で、いわゆるピカソの「新古典主義」の時代です。ピカソは、とんでもなく絵の上手な画家です。14、5歳くらいのピカソの絵は、超絶上手く、まさに天才でした。絵は、上手さで勝負するものではないと、天才だけに早々と悟っていたんだと思います。自分らしい作品を目指して、出した答えのひとつが「アヴィニョンの娘たち」なんです。, ブリジストン美術館(あっ、今は名前が変わっています)に新古典主義時代の作品があります。サルタンバンクが、腕を組んで座っている絵です。古代ギリシアの青年が、現代に甦ったようなイケメンです。道化を演じる旅芸人とは思えない理知的な奥深さが、表情にあふれています。この絵も、普通に解る作品です。, ブリジストンには、もう一枚、新古典主義時代の作品があります。恋人のオルガを描いたやはり、ギリシアの石膏像のような肖像画です。古代彫刻のような存在感を追求しようとして、ピカソは、絵の具に砂を混ぜて描いています。左頬とか首筋の陰のつけ方も、リアルです。今はどうなのか解りませんが、ブリジストンは、ギャラリーが明るくて、絵が見易い美術館でした。, 美術館で本物を見ると、絵は二次元ではなく三次元だと納得できます。画集も私に言わせると、三次元です。完全な二次元は、パソコンの画面です。私は紙ベースじゃないと本は読めませんが、それは、完全な二次元には、適応できてないからです。, 日本人が大好きなブルーピリオド、青の時代の作品も解り易いと思います。青の時代の一番著名な作品は、クリーヴランド美術館にある「La Vie(人生)」です。この作品は、失恋して自殺騒ぎを起こした、バルセロナ時代の親友のカサヘマスを描いています。カサヘマスの恋が成就していれば、こんな風になっていただろうと、想像して描いた反実仮想的な寓意画です。男女の愛、母性愛、家族愛。この頃、まだ20代の前半だったピカソは、そういう普通の幸せは、寓意画でしか表現できなかったのかもしれません。, 私が個人的に好きな「青の時代」の作品は、ギターを弾いている(指の形状から判断すると弾いてませんが)爺さんの絵と、盲人が食事をしている絵です。どちらも好きです。青の色調は、ギターの爺さんの方は、背後に窓があるだけに、多少、暗さがやわらいでいる感じもします。テーマとしては、盲人の絵の方が好きです。私は、耳はいい方ですが(65歳にしては聞こえている方だと思います)目は昔から悪くて、少し離れると、人の顔はぼやけてしまいます。教室で、顔がはっきり認識できるのは、2列目までの生徒だけです。一番後ろの席の生徒が、机にうずくまっていると、バッグなのか頭なのか判別できません。どっちが先に劣化するかと云うと、多分、目の方です(目が悪くなったのは、中1から通っているライブハウスの照明が、一番の原因だろうと推測しています。パソコンが原因ではありません)。, ですから、盲人の食事の方が、リアリティがあります。感情移入もできます。この盲人はベレー帽を被って、首にブルーのネッカチーフを巻いています。で、右手は水差しをつかもうとしています。水差しにはワインが入っていると解説書には書かれていますが、水でも別に構わないと云う気はします(多分、ワインの方が水より安いんです)。左手にはパンを持っています。私は、昔から粗食でした。子供の頃は、一汁一菜でした。母親は、焼き魚とか煮魚と云った魚料理を作ってくれたので、本当は一汁二菜だったんですが、私が魚料理を食べないので、一汁一菜になってしまったんです。ですから、野菜の煮物とご飯と味噌汁です。今も、子供時代と、さして変わってません。みそ汁は、飲まなくなったので、野菜の煮物とおかゆです。たまに生野菜を食べます。パンは、基本、食べませんが、そういう状況に置かれたら、普通に食べます。パンと水だけの粗食で過ごす。自分自身の老後を照らし合わせても、リアルです。青の色調は暗いんですが、顔にはハイライトが当たっています。左手のパンもちょっと明るい感じです。全体の基調が暗くても、どっか一部分が明るければ、万事OKかなと云う気もします。, 青の時代の次に、ばら色の時代が来ます。アルルカンやサーカスの人達を、オークルルージュの主調色で描いています。ばら色の時代の絵も、誰が見ても普通に解ります。1906年にガートルードスタインの肖像を描いています。この著名なアメリカ人女流作家の作品を、一作も読んでなくても、ピカソの肖像画を見れば、ガートルードスタインの人間性については、directに解ります。, ピカソの作品が解らないと云うお題目のような通説を、さておいて、虚心坦懐に絵を見れば、半分以上は、普通に解ると思います。, 教#042|ピカソの作品が解らないと云うお題目のような通説~ブルーピリオドを読んで⑬~(たかやんnote), 高校教員の定年を機にエッセイを掲載することを決意。教育エッセイ「たかやんnote」、大学受験エッセイ「受験ノート」を掲載します。他にもジャンルを絞らずエッセイ書きます。多くの人に読んでいただければ幸いです。[発言は個人のもので所属する組織の意見ではありません], 自#012|大切なことは、死なずに生き抜くこと。そのために走り、鉄棒にぶら下がる(自由note), 自#013|いい仕事をすることによって、社会に貢献して下されば、それが恩を返したことになります(自由note). Copyright © CyberAgent, Inc. All Rights Reserved. これらの発見はこれまでの調査の比較検討を併せ、ピカソ研究の発展に大きく貢献できるものと考えております。, 左:『ル・ジュルナル』紙(1902年1月18日号、3頁) Source gallica.bnf.fr / BnF