第19話「さすらいの、姫君悲し鬼街道」(1991年) - 小平次, 新・三匹が斬る! 結構、お得情報が載っていると思うので、よーちぇきらー!. 山田 隆夫(やまだ たかお、1956年〈昭和31年〉8月23日 - )は、日本のタレント、俳優、歌手、落語家。5代目鈴々舎馬風門下でもあり、高座名は鈴々舎 鈴丸(れいれいしゃ すずまる)。2014年4月から芸名の表記を『笑点』出演時を除き「山田たかお」に改めている。血液型はA型。東京都江東区深川出身。, 幼少期、実家が詐欺に遭い全財産を失う。それにより両親がいつも暗い顔をしていたので、山田は落語で両親を心から笑わせたいと思うようになり、これが落語に興味を持つきっかけになった[1]。, 10歳の時、フジテレビの『ちびっこのどじまん』でデビュー。その後複数の番組に出演し、1970年からは日本テレビの『笑点』の「ちびっ子大喜利」にレギュラー出演した[1]。, 「ちびっ子大喜利」の座布団10枚獲得記念賞品がレコードデビューということで、1973年にずうとるびを結成し、歌手デビューを果たす。[1]ずうとるび在籍時代には歌手として、第26回NHK紅白歌合戦に出場。その後日本大学豊山高等学校を卒業する。, 1977年、結婚を機にずうとるびを脱退する[1]。建前上は結婚のため脱退となっているが、実際はこの頃ずうとるびの音楽的方向性の考え方の相違から、当時は他のメンバーと険悪な状態になっており、山田自身の意思による脱退だった。, ずうとるび脱退以降は俳優に主軸を置いた活動となるが、脱退とともにずうとるびとして出演していた番組を軒並み降板する事になった。そのため仕事の数が急激に減り、当時既に所有していたマンションが主な収入源となっていた時期を経験する事となる。この時期の出演番組のひとつにNHKの子供向け番組『おかあさんといっしょ』があり、毎週土曜日に放送されていたコーナー『どんどんどん』のお兄さんを1980年度の1年間勤めた。この間、17歳でプロボクサーのライセンス(プロボクシングC級ライセンス)を取得した[2][3]。, 1984年10月7日から松崎真の後任として、『笑点』大喜利での6代目座布団運び役に就任した。これまで座布団運びを務めてきた人は体格の良い者が多かったが、「重い座布団をちっちゃいのが運んだらおもしろいんじゃないか」という5代目三遊亭圓楽と番組プロデューサーのアイデアで、岐路に立っていた山田に白羽の矢が立った[4]。山田の色紋付は当初赤紫だったが、1年後朱色(番組では赤と呼ばれる事が多い)に変わる。定紋は『剣かたばみ』。最初の挨拶の時は「座布団と幸せを運ぶ、山田隆夫です」というキャッチフレーズがあり、2015年の一時期は山田の挨拶がこのキャッチフレーズのみだった事がある。地方収録のときは、「山田流座布団運び家元とその一座でございます」という芝居がかった挨拶をするのが恒例となっている。, 年齢的にはベテランながらいつまでも下働き的な役目をしていることから、回答者からしばし「今日限りで番組卒業・クビ」「あんな仕事は誰でも出来る」「山田の挨拶はつまらん」「いい加減辞めてほしい」などと馬鹿にされることが多く、これに反発して回答者を蹴り飛ばすなど荒っぽいやり方で座布団を没収する。これは、5代目三遊亭圓楽の目立たなくなりがちな座布団運びを番組に絡ませるための提案が元で始まった。山田罵倒ネタは林家こん平・林家たい平師弟と6代目三遊亭円楽(楽太郎)、桂歌丸が使用することが多い。座布団の回収について5代目圓楽からは判断を一任されていたが、歌丸や昇太からは没収した枚数+1枚をあげるよう指示されることが多い。また、歌丸司会就任以降は、冒頭の挨拶の際に司会者から「○○な座布団運びのご挨拶からどうぞ」と、ほぼ毎回貶した紹介をされている。, 芸歴上は歌丸、林家木久扇、6代目円楽以外のメンバーは後輩にあたるが、メンバーからは「山田君」と呼ばれている[注 1]。2010年ごろからパーマをかけた独特の髪形にしており、これも「人間の髪型じゃない」「爆発に巻き込まれた人」等とイジられることがあるほか、歌丸からは「カビの生えたような頭を直しなさい」と苦言を呈されている[5]。, 江戸川区在住時代は5代目圓楽から「江戸川のスター」と紹介されることが多かったが、東京都の区画整備により高圧鉄塔が立つために立退き、横浜市に引っ越した。新居落成時には、番組でメンバーのお宅訪問が行われた。山田本人はこの邸宅を「座布団御殿」と呼んでいる。, なお、笑点には座布団係に徹するために本名で出演しているが、鈴々舎馬風に入門し、落語家として「鈴々舎鈴丸」という名を持っている。入門のきっかけは笑点の座布団運びになった事で、落語での世界のしきたり・作法や立ち振る舞いなどを勉強する意味で、落語家修行を始めたものである[4]。番組内では時折「大喜利メンバー入り」の意思を宣言しており、稀に大喜利で回答することもあるため弟子入りしたとも考えられている。, 1998年7月には自身が務めていた「大喜利」の座布団運びを若手[注 2]に任せることとなり休んだが、視聴者から苦情や抗議が殺到したため一ヶ月ですぐに復帰した[6]。, 2020年5月17日放送分以降は新型コロナウイルスの流行の影響で、番組の収録形式がリモートに変更になったため、座布団運びは一時休演することになる[注 3]。しかし視聴者から心配する声が相次いだことにより、6月14日以降は挨拶の時のみ電話音声やVTRで出演するようになり、8月23日放送の「チャリティー笑点」からスタジオ収録に復帰している。, 俳優としても活動しており、多数のテレビドラマや映画に出演している。1987年にアメリカ映画『太陽の帝国』(監督スティーヴン・スピルバーグ)に出演、オーディションにより決定したがその際には「キリストのお墓が日本のお寺にあるって聞いて、実際にそのお寺に行ってお坊さんに『本当にお墓はあるの?』って聞いたら、お坊さんが言ったんです。『イエス、イエス』」とギャグ披露、合格した[7]。また、これに伴い山田は役作りのために坊主頭になっている。その時期、警察署の一日署長を務めたことがあり、その写真が笑点40周年記念本に収録されている。, この演技が認められ、『ミスター・ベースボール』に通訳の役で出演が内定。山田自身も出演を公表していたものの、後に出演が取りやめとなっため結局は実現しなかった。また、この経歴から大喜利の10枚獲得賞品における「世界の大スターに会える権」として山田が登場したことがある(1999年9月5日放送分1680回より)。内容は山田がずうとるび時代の代表曲である『みかん色の恋』を歌いながら登場しただけだったため、賞品を獲得した歌丸はガッカリしていた。, 1.透明人間 - 2.恋のパピプペポ - 3.みかん色の恋 - 4.恋があぶない - 5.太陽の季節 - 6.初恋の絵日記 - 7.恋の夜行列車 - 8.ペチャパイブギ - 9.愛の反逆 - 10.大した娘だよキミは - 11.ふとしたはずみで - 12.明日の花嫁さん - 13.青春のひらめき - 14.止めるならいまのうち - 15.スカイランデブー - 16.あの娘は宇宙人 - 17.Dr.スロットマシーン - 18.Love Trip - 19.ウッカリBOY チャッカリGIRL - 20.マルガリータ, 1.ずうとるびファースト - 2.ずうとるびセカンド みかん色の恋 - 3.ずうとるびサード 恋があぶない - 4.ずうとるびフォース 愉快な仲間たち どりーむらんど - 5.恋の夜行列車〜愛と冒険の旅〜 - 6.ずうとるびファイト! 「住所一覧から地図検索」では全国の都道府県・市区町村の住所一覧から目的の住所をクリックして簡単に地図を検索できます。住所がわかっている場所の地図を探すのにとても便利です。マピオンは日本最大級の地図検索サイトです。