秋元 貢 → 大秋元 貢 → 千代の冨士 貢 → 千代の富士 貢 : 初土俵: 昭和45年9月: 最終場所: 平成3年5月: 年寄名跡: 陣幕 貢 → 九重 貢 : 生涯戦歴: 1045勝437敗170休/1473出(125場所) 幕内戦歴: 807勝253敗155休/1052出(81場所)、31優勝、11準優勝、5技能賞、1殊勲賞、1敢闘賞、3金星 横綱戦歴: … 千代之富士 貢(日语: 千代の富士 貢 ,1955年6月1日-2016年7月31日),本名秋元 貢,生於日本 北海道 松前郡 福島町,前相撲 力士,第58代橫綱。 出身 九重部屋 ( 日语 : 九重部屋 ) ,血型為a型。 1984年 11月場所 1990年 1月場所、11月場所), 優勝決定戦に出場した6回は全て勝利し優勝している。北の湖との1回、北尾(双羽黒)との2回は本割に負けた後の再戦で、土壇場での強さを見せつけた。しかし双羽黒の強さは認めており、不祥事による廃業に関しては残念がっていた。決定戦での勝率ならびに決定戦での優勝回数はそれぞれ最高記録保持者。弟弟子の北勝海との優勝決定戦の経験もある。, 優勝回数31回は白鵬、大鵬に次ぐ記録で、全勝優勝7回も白鵬と双葉山・大鵬に次ぎ、北の湖と並ぶ第4位、53連勝も昭和以降では双葉山、白鵬に次ぐ第3位の記録である。また連続優勝5場所も歴代4位タイと堂々たる記録である。参考ながら九州で行われる11月場所では、1981年から1988年までの8連覇を含め9度優勝している。夫人が九州出身なので「九州場所は地元のようなもの」とも言われた。その一方で、3月場所がやや鬼門のきらいがあった。初めての全勝優勝を3月場所(1983年)で遂げたのを除くと休場も多く、1989年は優勝を決めた相撲で肩を脱臼するという憂き目にあっている。また、両国国技館が開館した1985年1月場所から1987年1月場所まで、同所で行われる本場所(毎年1月、5月、9月)に7連覇している。さらに、蔵前国技館と1985年開館の両国国技館の両方で優勝経験があるのも千代の富士だけである。, 1996年(平成8年):渥美清1998年(平成10年):吉田正1998年(平成10年):黒澤明2000年(平成12年):高橋尚子2009年(平成21年):遠藤実2009年(平成21年):森光子2009年(平成21年):森繁久彌2011年(平成23年):ワールドカップ日本女子代表2012年(平成24年):吉田沙保里, 鋭く当たって左からのおっつけで体勢を起こし、突き落とそうとする大受の動きに乗じて回り込み、寄り立て、がぶり寄りの攻めで寄り切った。大受は当時は西前頭8枚目。, 自著『負けてたまるか』では父が戦時中に広島で被爆していたことについて記述されており、肩のかみ合わせとの因果関係が示唆されている, 肩を徹底的に鍛えて筋肉で固めたことが脱臼しにくくする効果はあった反面、脱臼してしまうと元に戻すことが非常に難しくなってしまい、これを治せた人は元大関・, 書類を受け取った担当の親方が書類をポケットに入れたまま提出するのを忘れてしまった。, この取り口の変化は北の富士も予想していなかった。北の富士は「前みつを取って食い下がって投げを打って勝つような相撲になると思っていた」と語っている。, 立合いから左前みつを取って攻め立てた。敗れはしたものの足腰の良さを発揮して輪島の投げを再三しのぎ、連続投げについていく場面、瞬発力を活かして攻勢に出る瞬間もあった。最後は吊り出されて敗れたが、輪島を吊ろうとする場面もあった。, 土俵入りの型は一門・部屋ごとに伝統があり、横綱個人の意思で選択できるというわけではない。, 2002年には北の富士の還暦土俵入りに太刀持ちとして率先して随行するなど、個人的な関係までは悪化しなかった。また、北の富士は不仲については否定し、「信頼している」とまで発言していた(, 旧九重→八角部屋の施設は北の富士が所有しているため。北の富士は相撲協会退職後も八角部屋最上階に居住している。, 北の富士は「千代の富士は一人でやれるし、いても邪魔になるだけ。八角は応援してやらんと」と、九重の能力を評価し、自由に運営できるようにするために配慮したことと同時に、八角への支援の必要性があったことを理由としている。, たとえば、三段目に昇進すると四股名が与えられるが、全ての力士に「千代〜」と命名していた。なお、千代大海が九重部屋を継承してからは、「三段目に上がることを最終目標にしてはいけない」ということで新弟子の時点で四股名が与えられる方針に変わったが、やはり全員「千代〜」と命名されている。, 同様に千代の富士は賜杯と共に自身の子供を抱いての記念撮影を長女、長男、三女とも行っている(長女は1984年11月場所、長男は1987年11月場所、三女は1989年3月場所)。, Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p64, Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p46, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/01/kiji/K20160801013074520.html, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1754038.html, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1754037.html, https://web.archive.org/web/20140113065244/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20140109-OHT1T00169.htm?from=related, https://web.archive.org/web/20140112145124/http://hochi.yomiuri.co.jp/sports/sumo/news/20140112-OHT1T00123.htm, http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20140201-1251675.html, http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwriter-watanabe/16411/, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/05/31/kiji/K20150531010453670.html, “【甘口辛口】九重親方の還暦土俵入り、現役時代をほうふつさせる雲龍型が期待できそう”, http://www.sanspo.com/etc/news/20150526/amk15052601550001-n1.html, https://web.archive.org/web/20160801163709/http://www.jiji.com/jc/article?k=2016073100150&g=spo, https://web.archive.org/web/20160420071801/https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20150914-OYTEW50967/, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1537969.html, http://www.j-cast.com/2015/11/21251225.html, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/11/21/kiji/K20151121011549870.html, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1687678.html, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/01/kiji/K20160801013074210.html, http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20160801-OHT1T50038.html, https://web.archive.org/web/20160731132904/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160731/k10010616091000.html, http://www.sankei.com/sports/news/160731/spo1607310022-n1.html, http://www.daily.co.jp/general/2016/08/08/0009365829.shtml, “巨人前監督・原氏、千代の富士さん告別式で思い出語った「我々の世代では大ヒーロー」”, http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20160807-OHT1T50277.html, http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20160806-OHT1T50207.html, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1690538.html, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1718621.html, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1700612.html, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1754036.html, http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/08/02/kiji/K20160802013079220.html?feature=related, http://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1690541.html, “〈ヒロシマのメッセージ 次代へ紡ぐ〉 半世紀の「封印」解く/未来への遺言 第五福竜丸エンジン移設”, https://web.archive.org/web/20160801031244/http://www.hiroshimapeacemedia.jp/abom/97abom/jidai/970722.html, https://web.archive.org/web/20120120195403/http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/article.php?story=20100618104048869_ja, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=千代の富士貢&oldid=80096816, 出身地や卒業した小学校とも千代の山と同じで、これは非常に珍しいケースで他に例がない。故郷の福島町には, 晩成型で最年少記録の類とは無縁であるが、19歳で新十両、20歳で新入幕と出世は早く、新入幕からしばらくは「幕内経験をもつ最若年者」の地位を保っていた。, 「入幕後、幕下まで陥落」「三役昇進後、十両まで陥落」という経験を併せて持つことは、後の大横綱としては極めて異例。, 尊敬する力士として貴ノ花を名を挙げている。新入幕後に十両から幕下で低迷してしまいやけになって煙草の本数が増え、一時は1日3箱も吸うヘビースモーカーとなったが, 脱臼癖に苦しめられてきた千代の富士であったが、一方では脱臼が大成の一助になったという見方もある。, 隆の里については千代の富士曰く「裏の裏をかかれる」。大関から横綱にかけて8連敗するほど苦手にしていた。通算でも13勝18敗(十両1勝2敗、幕内12勝16敗)と負け越しており、隆の里に負けたことで優勝や全勝を逃した場所が多かった。特に1983年7月場所から1984年1月場所にかけて4場所連続で勝った方が優勝という千秋楽相星決戦を行い1勝3敗を記録、この間に隆の里は横綱に昇進し、新横綱だった9月場所では全勝決戦を制して15日制で唯一の新横綱全勝優勝という偉業を成し遂げている。, 小錦についても上述の1984年9月場所の初対戦では完敗している。当時不振が続いていた千代の富士は目が覚めたかのように、場所後に「小錦対策」として, このように、本場所で負けた相手に対して出稽古や巡業で相手の攻略法を見つけるほか、横綱になってからは若い力士に率先して稽古をつけていた。特に前場所負けた相手に対して巡業では積極的に稽古に狩り出した(, しかし、横綱昇進後には同じ力士に対して滅多に連敗しないと言われたが、隆の里以外には小錦に1987年1月場所 - 5月場所まで3連敗、小錦が初優勝した1989年11月場所 - 1990年5月場所まで4連敗している。, 北勝海が横綱に昇進して同部屋に横綱が2人になったことで力士が2人を区別してどう呼ぼうかと思った際に、北勝海の提案で千代の富士を「大将」と呼ぶようにした話も残っているが、横綱となった身の者が先輩横綱という意味のみならず「ワンランク上の横綱」と見ていた存在感の大きさを現す逸話である。, 2016年7月31日、千代の富士こと九重親方が61歳で病死した際、訃報の直後は衝撃が大き過ぎてコメント出来なかった。翌8月1日に北勝海は記者陣に対し「兄弟子でしたが、もう1人の親方という感じだった」と現役時代を振り返った後、「現役の頃から絶対に負けないという目で見ていたので治ると思っていた。(亡くなったのは)本当なのかという感じ」と驚きを隠せなかった。千代の富士に面会した最後は同年1月、高砂一門の会合が開催した焼き肉店で「何年か経って、二人で酒を飲みながら思い出を語りたかったのに…」と無念さをにじませている, 引退時の通算勝利数1045勝と幕内勝利数807勝は、共に当時史上1位の記録だった。それから19年近く経過の後、, 初日から8連勝の中日勝ち越し回数は、通算25回。平成25年3月場所で白鵬に抜かれるまで最多。, 年間最多勝の受賞は3回と、優勝20回以上の大横綱の中ではかなり少ない。これは千代の富士の横綱昇進後の休場がほぼ年に1場所程度のペースで均等に散らばっている(横綱在位中は連続休場は一度もない)ためであり、現に休場を除いた勝率ではその年1位という年度が多く存在する。同様の理由で連続勝ち越し場所数、連続二桁勝利場所数、任意の連続場所(10場所、12場所など)での勝ち星記録などでも実力に比例する記録は残していない。, 横綱昇進が決まった日の夜、九重は千代の富士を自分の部屋に呼び、いきなり「ウルフ、辞めるときはスパッと潔く辞めような。ちんたらちんたらと横綱を務めるんじゃねえぞ」と言った, 1991年5月場所が始まる前の最大の注目は、3月場所に幕内下位ながら終盤まで優勝争いに加わった, 同年7月場所前、千代の富士改め陣幕は自ら土俵に立って若い力士に稽古をつけたが、あまりの充実ぶりに, 部屋持ち時代は北海道福島町の夏合宿時の恒例行事として素潜りを開催し、自らは誰よりも早く海に行って、いの一番に海の幸を見つけていた。このことは2017年に日刊スポーツの絵日記企画に参加した弟子の千代丸が明かしており、千代丸もまた、5mから6mの素潜りはお手の物であるという, 現役を引退した以降も現役時代ほどではないにしろトレーニングは継続しており、還暦土俵入りでは60歳とは思えない肉体美を披露し、周囲を驚かせた。, 1989年11月場所5日目の寺尾戦では、寺尾を後ろから高々と抱え上げて土俵上に叩きつけるような, 横綱として全盛期を極めていた当時、テレビ番組、特に生放送の番組に出演することはまれであったが『, 数少ない5文字の四股名を名乗った力士であり、歴代横綱の四股名では千代の富士は唯一の5文字であり、文字数が最も多い。, 1982年(74勝16敗)、1985年(80勝10敗)、1986年(68勝10敗12休), 幕内連続2桁勝利:9場所(1981年11月場所 - 1983年3月場所、1984年9月場所 - 1986年1月場所), 幕内連続12勝以上勝利:5場所(1981年11月場所 - 1982年7月場所、1986年5月場所 - 1987年1月場所), 通算連続勝ち越し・幕内連続2桁勝利・連続12勝以上勝利の記録については、大関及び横綱昇進を果たした1981年以降、年間全て皆勤した年が1982年と1985年の2年間に留まったため、歴代ベスト10には入っていない。しかし、初優勝を果たした1981年1月場所以降、大関・横綱時代に皆勤した場所で1桁勝利に終わった場所は皆無である。, 場所別優勝回数(東京場所:13回(蔵前国技館:2回、両国国技館:11回)、地方場所:18回), 技能賞:5回(1980年3月場所、1980年7月場所、1980年9月場所、1980年11月場所、1981年1月場所).